私はこう思う!

世界的に有名な写真「ハゲワシと少女」:人命か報道か優先するべきものは?

あなたは「ハゲワシと少女」という写真を知っていますか?

学校の教科書でも扱っているので「知ってる!」という人も多いかもしれません。

ともちか
ともちか
この写真は本当に衝撃的ですよね。今でも初めて見た時の驚きは忘れません・・・。
くまくん
くまくん

少女がハゲワシに狙われている写真

写真を見られない人のために、簡単に状況を説明すると、

”痩せ細ってうずまくっている少女を、ハゲワシが背後から狙っている”という構図です。

この写真はスーダンの飢餓の実情を広めるために撮られたものです。

そして、この写真が世に注目されたとき、意見は大きく2つに分かれました。

「報道を優先するなんてありえない!」という批判意見

1つは、この写真を批判するものです。

ハゲワシを追い払わないで、写真を撮ることを優先するとかありえない!
なんで助けようとしないの? かわいそう・・・。

など、人の命より報道を優先するなんてありえない!」というような批判意見です。

くまくん
くまくん
このあと、女の子はどうなったの?
ともちか
ともちか
写真を撮った後、すぐに追い払って無事だったそうです。ひとまずは安心ですね。

「飢餓の実情が伝わる良い写真」などの肯定意見

もう一つは、この写真を肯定するものです。

先にハゲワシを追い払っていたら、このような衝撃的な写真は撮れず、飢餓問題について注目されていなかった。
スーダンの飢餓の実情が伝わる良い写真。

など、”実情を伝えるためには、報道を優先することも時には必要”というような肯定意見です。

どっちの意見が正しい?

「批判」「賞賛」か。

「人命」「報道」か。

はたして、どちらが正しいのでしょうか。

みなさんはどう考えますか?

賞賛されるもの?

飢餓が問題になっていた当時では、この写真のような状況が至る所で起こっていたのだと思います。

ワシを追い払ったり、食料を分けたりなど、少女をその場限りで助けたとしても、明日、また同じ状況になっているかもしれません。

根本的な問題である「飢餓」をどうにかしなくては、少女を本当の意味で”助けた”とは言えません。

手放しで賞賛することはできませんが、この写真が撮られたことによって飢餓の実情が世に伝わったのなら、”意味のある写真”だと私は考えています。

ですから、どちらかと言えば賞賛寄りの意見になってしまいます。

批判は間違い?

ですが、批判意見が間違っているとも思いません。

弱っている子供が襲われそうになっていることに気づいているのに、助けることよりその場面の写真を撮ることを優先する。

そんな行動について快く思う人はいないでしょう。

「なんで助けることを優先しないんだ!」という意見はもっともです。

「人命か報道か」という問題はこの写真に限らず、今なお議論され続けていますから、

「これが正しい!」と言えるものなんてなく、正しいと思う意見は人によりけりです。

くまくん
くまくん
ボクだったら考える前に体が動いちゃうと思う。

ジャーナリズムとは

例えば、この写真を撮った人が何の意図も無くただ面白がって撮影していたとしたら批判されて当然です。

ですが、この写真を撮った人は”真実を伝えることが仕事”のフォトジャーナリスト(報道写真家)です。

私たちの目の届かないところへ赴いて、真実を伝えてくれます。

また、それによって世間の注目が集まり、問題が解決するように働きかける効果もあります。

この写真の場合も、少女1人をその場で助けたとしても、飢餓問題は解決できません。

もし先に少女を助けていて、この写真が撮られなかったら、ここまでスーダンの飢餓問題に注目は集まらなかったのではないでしょうか?

注目された結果、支援を受けて救われた人も多かったのだと思います。

人命か報道か、どちらが正しいにせよ、

報道があったからこそ、助かる命もあったことを忘れてはダメですね。

さいごに

この「ハゲワシと少女」という写真についてはまだストーリーがあって、

撮影者の写真を撮った後の行動の詳細や、自殺してしまったことなどについても記事を作ろうと思っています。

ともちか
ともちか
この写真には本当にいろんなことを考えさせられます。
くまくん
くまくん
今回はここまで!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA